昭和56年07月20日 朝の御理解



 御理解 第77節
 「人の悪いことを、よう言う者がある。しこにもしおったら、なるたけ逃げよ。陰で人を助けよ。」

 信心させて頂く者は、まぁ心がけていなければならないことです。悪口を言わねばならんような場合にそれを反対に、こう祈れれるそれが信心だと思います。昨日日田の綾部さんのお届けでございましたけれども、あちらの大変懇意にしとられる、大変なまぁ財産家の方の息子さんが、まぁいろんな事情で倒産をされました。そしてもういろいろとまぁ事業に手を付けられますけれども、なす事なすことが良くない事ばっかり。合楽にも2、3回お導きしてまいって見えられましたけれども。
 とにかく合楽に参るとこわいと、ならどうしてですかという、皆んな有り難い有り難いというておるところに、いやぁもうあちらでお話を頂いておると、もうまるっきりこちらの心を、見透かされとるようにして、私の様なまぁ者は、とても先生の傍に寄られんと言う風に言われて、んで今度も又なされる事が、まぁ失敗に終わったのでしょう。今度は葬儀社を始められた。まぁいうならぎりぎりのところまで行かれた、と言った様な感じがしますけども。
 ところが始めて随分と宣伝もする広告もするけども、一件もそのまぁ注文と言うでしょうか依頼がない。でまた綾部さんのとこに相談に見えたから、まぁとにかくそう言う事をなさるのに、私のところへ来るならまず合楽にお参りせにゃでけんて、お伺いをしてお願いをしてそして、そしたやんなさらにゃと言うので、昨日一昨日でしたか同道して参って見えられました。それでもう葬儀社というそのうまぁお仕事と言う、こりゃ素晴らしい言うならば人間まぁ人生のまぁ最終の美とでも申しましょうかね。
 そのう亡くなられた方達の、本当に楽しいやすかれとしてこのう祈れれる立場になられる御用ですから、もうこういう神様の心に叶う様なお商売はないでしょう。これはおたくのまぁ言うなら葬儀社に、そりゃ誰もそれを言う祈りとか思いとかと言うものは分らないでしょうけれども。天地の親神様が喜ばれる。またはその御霊様が喜ばれる。それが繁盛につながらない筈はないですよと。
 ただあのう儲かりさえするばよいと言う様な事で、葬儀社を始められたとするなら。そりゃやっぱり神様の御心にかなわんからと言う様な話を致しましたが、それを非常にそのうなにかそうですねぇ、まぁいってまいやの商売と言うでしょうか、そんなこういうものがあったように感じましたけれども。もうこれは外の者じゃでけん本当は信心でもある人がこれをなさったら、素晴らしい事になるでしょう御霊も喜ばれるでしょう。
 またその事が神様のお喜びにも通ずることだから、おかげを頂くでしょうと言う話がね、まぁ本当にそうだとこう分かられた感じです。したら昨日早速綾部さんところに電話が掛かって来てから、その私しゃもう合楽は恐れ入ってしもうたとこう言う。帰らせて頂いたら電話が掛かって来た、それが大きな葬儀を始めてそのう注文と言うでしょうかご依頼があったと。
 今からその準備にかからなければならんから、お礼参りが出来んから、取り合えず綾部さんあなたからお礼申し上げ取ってくれと言うお届けでした。ねぇんそれ神様の御演出でもあろう、神様のおはたらきといわずにおられないのですけれども。ただそのう葬儀社があぁそのまぁいうなら、まぁこげん儲かる商売ないでしょうねまぁ儲かると言う意味で言うたら。けれどもそのうお商売をさせて頂くその内容がです、言うならば陰で人を助けよと、人は知らない誰も知らんのだけれども。
 自分とこの私の所のまぁ葬儀社は、ただそう用を足すという事だけではなくて、御霊の言うならば安心の、自分の所に頼まれたということの縁によって、そのう魂の助かりを願がってやれれる様な、その心掛けこそが私は陰で人を助ける事になるのじゃないかと思うんです。こりゃまぁそう仰るその方だけの事ではありませんが、お互いの場合であってもそうです。信心をさしおればやはり少しは違わなきゃいけない。
 なら人は悪口を言う自分の一緒になって悪口を言うじゃなくて、出来るだけその場におったら逃げよと仰る事は、今日はそこを場を逃げると言う事だけの事ではなくて、その事を祈れせて頂くいわゆる陰で人を助けるという事だと思うんです。なるほど悪口は言われておる人は本当に悪口言われねばならない様な事をしたり、あったりしておるかもわかりません。ですが尚更ならそれを陰で助ける様な心掛けこそが、ここで信心さして頂く者の言わば心掛けじゃないだろうかと思いますね。
   どうぞ。